ゲノム医療の展望
cBioinformatics株式会社
がんゲノムプロファイリング検査は、全遺伝子または一部について、遺伝子の変異や、遺伝子融合および遺伝子発現などを、次世代シークエンサーを用いて解析し、それらの結果を包括的に解釈して治療方針を選択するための検査です。これは医学的なエビデンスが確立し、厚労省による承認薬が存在する個別のバイオマーカーとしてではなく、得られた遺伝子異常を包括的なプロファイルとして解釈し、標準治療以外の治療に反映させる点が、従来の遺伝子検査の主体であったコンパニオン診断薬と大きく異なるところです。この検査が始まり、今までには得られなかった治療効果への大きな期待がある一方で、病的意義の不明なVariant Uncertain Significance変異(VUS変異)や、複雑な生体ネットワークに関わる部分はこの検査からはわからないことなど、解決すべき多くの課題があります。
がんゲノム医療で主役となる次世代シークエンサーという技術革新は、臨床における治療方針決定の思考法を変えることを医療者に迫っているとも考えられます。そこで生じてくる数々の課題として、
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がんゲノム医療時代の新しいエビデンス構築のための枠組み
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臨床医に必要なゲノムリテラシー
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次世代型がんゲノム医療のために必要なデータベース
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AIの活用法
などがあげられ、真にがん患者がこの新しい診断法に基づいた治療から利益を得るために、医療者側の思考の熟成と絶え間ない試行錯誤が必要であると考えられます。このように現状でのがんゲノムプロファイリング検査は、医師・研究者・患者が共に未来への治療法を探索する試みの段階ともいえるため、一つ一つこれを解決すると同時に、コストダウンにより癌の診断早期から誰もが受けられる医療とすることが重要です。本稿ではその問題点と解決のための戦略を提案したいと思います。
検査の適用は末期がんから診断早期に
世界中で薬物の効果を予測する「バイオマーカー」の探索が行われており、その探索にはマイクロアレイ、次世代シークエンサーなどモダリティーの違いはあるものの、網羅的な解析が重要な役割を果たしています。発見されたバイオマーカーはコンパニオン診断薬という形でがん患者へ還元されていますが、多くは単一の遺伝子変異やタンパク質に対する免疫染色の結果を用いた形でのシンプルなものです。これに対して、2019年度から本邦にて保険適応となったがんゲノムプロファイリング検査は、標的となる遺伝子を数百種以下に限定した形でのアンプコン型のパネルシークエンスが中心となっています。さらに、次世代シークエンサーが持つ解析力を考慮すると、今後はより広域にデータを取得する網羅性の高い検査への移行が予想されており、現実に進行中です。
米国Memorial Sloan Kettering Cancer Center (MSKCC)で開発されたMSK-IMPACTは468種類の遺伝子を対象としたパネルシークエンスであり2017年にアメリカ食品医薬品局 ( FDA )に対外診断薬として承認をされています。約10,000症例に対する診断の結果についてすでに論文報告がされており、全検査症例の37%で分子標的薬が推奨とされる変異(druggable gene alteration)を有し、実際には11%が治療紹介へ至ったとされています[1]。少数ではありますが、国内で行われたMSK-IMPACTをまとめた報告によると、25%(64人中16人)にdruggable gene alteration が発見されているとの報告がなされています[2]。MSKCCでは年間受診患者約4000人のうち約3000人に対してMSK-IMPACTを実施しており、対象となる患者はかなり進行したがん患者の割合が多いと報告されていますが、がんと診断された時点で検査を行い、早期の遺伝子変異情報を把握して治療方針決定のためのルーチン検査として使用していることがわかっています。この流れから、例えば手術を施行された患者全例にこの検査を適用するなど、現在施行されている標準治療終了後の治療選択肢提示目的だけではなく、世界的な大きな流れとして、より診断早期から検査を行い、これによる治療戦略を立てていく時代にシフトしていくと考えています。
解析アルゴリズムによる結果の違い
実際のシーケンサーから吐き出される生データからのデータ処理過程を図1に示します。生データである「fastq」ファイルをヒトの標準的な遺伝子配列に対してマッピングした後、変異を同定する作業に進みますが、注意すべき点が二つあります。一つは変異同定のために使用するアルゴリズムにより抽出される遺伝子変異が変化してしまうことで、この違いは全エクソーム検査など、相対的に網羅性の高い手法になった場合には顕著となる傾向があります(図2)[3]。二つ目は「腫瘍 vs 正常組織検体」の比較を行う場合と、「腫瘍のみ」を検査に用いた場合には抽出される変異の数と質が全く異なるという点です。腫瘍検体のみの変異抽出はすでにわかっているヒトゲノム配列に対する変異を抽出するために、多くの偽陽性を含んでいます。そのため、自分のオーダーしたクリニカルシークエンスがどちらを採用しているのかを理解しておく必要があるといえます。「腫瘍 vs 正常組織検体」の比較を行う場合は、個人特有のSingle Nucleotide Polymorphism (SNP)は原理的には除去されると考えています。
この初期の段階で抽出された変異には、タンパク質の機能変化を生じずに生物学的な変化をもたらさない変異も多く含まれており、治療標的とはなり得ない多くの偽陽性変異を含んでいます。これらの不要な変異を除外していくために、各変異に対して既存データベースを参照しアノテーション(注釈)作業を行うのですが、真の治療標的となる変異を抽出するための方法には、
1) 病的な意義が報告されている遺伝子変異を抽出する
2) 健常人が一定の確率で持つ変異は除外する
という二つのアプローチ方法が存在します。前者にはCOSMIC(https://cancer.sanger.ac.uk/cosmic)などの病的変異の登録されているデータベースを、後者にはgenomeAD (https://gnomad.broadinstitute.org) 、ESP6500(https://evs.gs.washington.edu/EVS)や1000人ゲノムプロジェクト(https://www.internationalgenome.org/1000-genomes-browsers/)などのデータベースを使用します。また表現系と変異を集約的にデータベース化したClinVarも重要なデータベースです。現段階でこれらはすべて人力で検索し、アノテーション作業を行うため、日本全体の検査量が増えるに従って膨大な専門家の育成と人件費がかかることが予想されており、大きな問題となっています。
図3は実際のアノテーションを行ったものです。これらの情報をもとに真に薬剤効果が見込める治療標的となる変異の抽出を行うのですが、前述したように、抽出のために採用する原理・方法論によりフィルタリングされてくる遺伝子が全くことなることが問題となっています。つまり、使用されるデータベースの種別や、希少なSNPの頻度を定義するためのカットオフ値など、多くの変数の設定、また採用されるアルゴリズムなどにより結果が同一にはならないことがわかっています。さらにこれらのアルゴリズムはデータベースが日々更新されることから、検査を行う時期によっても変化してしまいます。そのため、少なくとも日本国内で多くのコンセンサスが得られるアルゴリズムの作成と統一化が急務であると考えられます。少なくとも変異抽出のための最新のアルゴリズムの検証や、更新されたデータベースを用いた再解析結果の検証を行うために、大元の生データの登録と蓄積は日本全体で計画的に行う必要があると考えます。検査結果が変わるという可能性を把握し、そこから副次的に発生してくる、更新された結果の返却をどのように患者へ通知していくかという問題も大きな課題であるといえます。
患者の利益を最大にする
変異をコールした後に待っている最大の仕事は患者への治療指針の提案書の作成です。検査を受けた患者は不安と希望の中で検査結果を待っています。医療者は限られた時間の中で、患者の利益を最大にするための選択を日々迫られています。現在、変異情報をもとに新たな治療法の提示をすべく、全国の拠点病院をはじめとし複数期間で治療法の提示のために様々な取り組みを行なっています。しかしながら、検査を受ける患者数の増加に対応できるための体制は確立されておりません。cBioinformaticsでは全ての医療者がゲノムを身近に感じ、過去蓄積し馴染みのある医療者の思考法に沿うような環境を作り出すため、臨床、ゲノム情報を視覚的に解析可能な統合解析ソフトSocratesの開発に成功しました。Socratesは蓄積されたゲノム、臨床データを即座にマウス操作で解析が可能な故、ゲノム医療時代の新たな基準のエビデンス構築を可能なアプリケーションです。また、遺伝子変異に基づいた治療選択のため、国内の治験含めた臨床試験、選択可能な薬剤を選別するためのキュレーションソフトmosesの開発にも成功しています。遺伝子に詳しいものだけの解析は混乱をきたします。深いゲノム解析の知識、ゲノムそのものに対する理解、豊富な臨床経験が揃って初めて、患者利益を最大にするための医療環境の提供が可能と考えられます。cBioinformaticsはその全てを持ち合わせ、現在のみならず未来のゲノム医療を作り出す新しい会社です。
VUSの存在
抽出された変異を考察する上で問題となるのはVariant Uncertain Significance 変異 (VUS変異)の存在です。VUS変異とは簡単に言えば、生物学的に機能変化をもたらすかわからない変異のことです。VUSは最終結果からは除かれるべきですが、これをフィルタリングするために使用されるデータベースによって定義が変わり、また実際には解析中に多くのVUS変異に遭遇します。これらの変異の扱いについてのコンセンサスは残念ながらないため、治療拡大の可能性を残すという観点から少なくともエキスパートパネルで議論されることが望ましいと考えられる。VUSの機能検証には遺伝子編集技術による細胞、動物モデルを用いた介入的な検証が本来は望ましいと考えられますが[4]、膨大な数のVUSの機能を検証する実験は時間的にも費用的にも非現実的であるため、シミュレーション技術などを用いて簡便なアッセイ系の開発が望まれます。
単一遺伝子変異による機能評価の限界
歴史的には、肉眼的所見を軸とした病理解剖学の確立、顕微鏡導入による病理組織学の確立の流れをくんで、腫瘍病理診断は発生母地となる臓器や組織型に重きをおいて行われてきました。この臓器・組織型別の診断法からつながる治療戦略を立てるために、自然な流れとして臓器別に臨床試験による各薬剤のエビデンス構築が行われ、確立されたのが現在の標準治療であるといえます。例えば胃癌に対する薬剤エビデンスを構築するためには、胃癌の患者のみを数百人希望で集めて、薬剤効果が認められるかどうかを検証してきたわけです。この流れは分子標的薬が標準治療に組み込まれた後も継続され、現在でも臓器別に多くの臨床試験が行われています。
がんゲノム医療におけるこの臓器間の相違を検討する好例として、バスケット型の臨床試験の興味深い結果が報告されています。バスケット型の臨床試験とは、一つの臓器に限定せずに、検査で発見された遺伝子変異をバイオマーカーとして多臓器横断的に定め、これを標的とする薬物治療を行い、効果を検証する臨床試験のことを意味します。DavidらはHER2,・HER3遺伝子に変異を有する多癌種に対して、これに対応する治療を行ないました[5]。その結果によれば、乳癌・胆管癌・子宮頸癌では効果を認める一方、症例数の比較的多い肺癌・大腸癌では効果が認められませんでした。この試験の他にもBRAF遺伝子変異を有する患者群を対象にBRAF阻害薬を投与するデザインのバスケット型臨床試験も報告されており、前述のHER2変異と同様に臓器別で効果が異なっていたという結果が報告されています[6]。
これらの報告から、同一の遺伝子変異が腫瘍内で及ぼすインパクトは、臓器によって異なるという共通の事象が確認され、遺伝子変異がもたらすインパクトは、ゲノムの変異情報のみでは予測が難しく、変異情報+αの評価が必要であることを示しています。近年免疫チェックポイント阻害薬やPARP阻害薬のように特定のシグナル伝達経路を標的としない新薬が日常臨床でも使用されています。一方がんゲノム医療で確認される標的薬剤の多くは特定のシグナル伝達経路を活性化する「がんのドライバー変異」を検出して治療提案をすることが多いのが現実です。そのため、治療標的の薬剤が見つかったとしても、単一変異のみに着目するのではなく、腫瘍全体のもつ性質を評価し治療戦略を考えることが、次世代のがんゲノム医療を構築する上で重要と考えられています。
臨床データを含む多層データベース(オミックスデータベース)構築の重要性
がんゲノムプロファイリング検査における「成果」とは薬効の確認、治療によるベネフィットの有無などと定義できますが、これまで述べてきたがんゲノム医療における課題に対する解決法の一つはこの「成果」収集を行うことと考えています。VUS変異に対して他の変異にもとづく治療選択肢がない場合、積極的に標的薬剤を投与し、薬効に関するデータを付加したデータベースを構築していくことはとても重要で、このために患者に対して標的薬剤を投与した際の効果、有害事象を含めた詳細なフォローアップデータ収集が必要となります。また前述したように生体は複雑なネットワークを有するために構造情報のみから薬剤の効果予測を完璧に行うことは現時点では困難です。変異のもたらすインパクト、ゲノム不安定性を含めた患者個々の腫瘍全体像を掴み治療効果予測を行なっていくという観点に立てば、構造情報、詳細な臨床情報に加えて、遺伝子発現情報、epigeneticな情報などの多次元的なデータベースの収集が必要であると考えられます。現在の枠組み内でのがんゲノムプロファイリング検査の実施は、短期間で適切な治療提示が可能とは言いがたく、未来のための患者参加型の治療法の探索とも言える。そのためにできる限り意義のあるデータ収集を提案し行うことこそ最善でありましょう。
参考文献
1. Zehir, A., Benayed, R., Shah, R.H., et al., Mutational landscape of metastatic cancer revealed from prospective clinical sequencing of 10,000 patients. Nature Medicine, 2017. 23: p. 703.
2. Kato, S., Hayashi, T., Suehara, Y., et al., Multicenter experience with large panel next-generation sequencing in patients with advanced solid cancers in Japan. Jpn J Clin Oncol, 2019. 49(2): p. 174-182.
3. Pabinger, S., Dander, A., Fischer, M., et al., A survey of tools for variant analysis of next-generation genome sequencing data. Brief Bioinform, 2014. 15(2): p. 256-78.
4. Yamaguchi, S., Fujii, T., Izumi, Y., et al., Identification and characterization of a novel adenomatous polyposis coli mutation in adult pancreatoblastoma. Oncotarget, 2018. 9(12): p. 10818-10827.
5. Hyman, D.M., Piha-Paul, S.A., Won, H., et al., HER kinase inhibition in patients with HER2- and HER3-mutant cancers. Nature, 2018. 554(7691): p. 189-194.
6. Hyman, D.M., Puzanov, I., Subbiah, V., et al., Vemurafenib in Multiple Nonmelanoma Cancers with BRAF V600 Mutations. N Engl J Med, 2015. 373(8): p. 726-36.